月片回収

1

空に月が昇らなくなって七年と二ヶ月


七年と二ヶ月前


その日は今世紀最後の皆既月食の日
僕も父と共に世紀の天体ショーを見ようと
家の屋根にのぼっていた

月食開始予定時刻は21時

夕ご飯も食べた、宿題も済ませた、明日の学校の用意もした、飼い犬のご飯もあげた

僕は皆既月食が起きるまで
なんども今日中に済ませなければならないことを指折り数えて確認した
万全の状態でこの一大イベントを心行くまで堪能して
そのままの状態で布団に潜り込みたかった
それだけをしっかり脳裏に焼き付けて眠りにおちたかった
子供独特の考えなのかな

夜の冷たい空気と虫の声の中
皆既月食は予定時刻より30分も早く始まった

「月の左側、暗くなってきてるよね?早く屋根にのぼっておいてよかったね」
「そうだね、でもこんなに予定時刻ってズレるものなのかな」

「いいよ、早く見られるんだもん」

僕はただ純粋に、心待ちにしていたイベントの予定時間が早まったことを喜んだ

「でもおかしくないか?こんなことって・・・」

父がそう言い終わるか終わらない頃
南の空に浮かんだ月は、その形をゆっくりと夜空に溶かし始めた

初めて月食を見る僕の目にはそう映った

ゆっくり

溶ける


しかし実際のそのスピードは普通の皆既月食とは比べ物にならないほど速かった

予定では月が欠け始めて皆既まで約1時間、皆既の継続時間が約二時間
そして、月がもとの満月に戻るまでさらに1時間だったのだそうだ

僕の見た月食は、欠け始めて見えなくなるまで10分もかからなかった

普段の月の満ち欠けを早送りする感じで月の左側からじわじわと黒い部分が増え始め
その境界は粒子状に見えた

月食開始から五分後、僕の目にもついに今回の月食が異常なものに映った


月に穴が開いた


左側三分の一を欠いた月の中央よりもやや右下
突然ぽつりと黒いしみができた
布に墨滴をたらしたかのように

しみは瞬く間に広がり月に大きな穴を開けた
またその右、小さなしみが一つ二つ増えて
月はみるみる侵食されていった

そして跡形も無くなってしまった
再び満ちることは無くなってしまった

空に浮かぶ月の最後だった

完全月食の日だった



そして僕は
二年と一ヶ月前から月片回収の仕事をしている

地上に落ちた
蒼白く燃える月片を回収している


2へ続く